NHKスペシャル『駅の子の闘い~語り始めた戦争孤児たち~』

今日は終戦記念日。時代の流れとともに、実際に戦争を体験した人も年々減ってきているだろう。
自分の父は18年前に80歳で他界したが、生前、終戦記念日近くになると、思い出したように中国へ出征していたときの話をした。ついさっきまで隣りで話をしていた同僚が銃弾に倒れ、人はいかに儚い存在であるかといった話。戦死者を木材のやぐらを立てて火葬する際、夜中に1時間ごとに見張りを立てるがみんな少しずつ時計を早めてしまい、最終の当番ではなかなか夜が明けなかった話など、話ベタの父がいつになく多弁になった。 子供だった自分が『中国のどこにいたの?』などと質問すると、少し得意気な感じで、都市名を次々に挙げたが、ふんふんと聞き流してしまった。今にして思えば、もっといろいろ聞いておくべきだった。
そんなふうに思っていたなかで、表記のNHKスペシャルを観た。戦後すぐ戦争孤児が街に溢れていたことは何となくは知ってたが、放送を観て戦争孤児が駅の子となり、世間から突き放され虐げられながら、懸命に生き延びた運命に同情の念を禁じ得なかった。通りすがりの人は見て見ぬ振りで、日本政府もGHQからの指示でやっと重たい腰を上げ救済に乗り出したとのことだ。元孤児のひとりが人間の本性とは冷たいものだと証言してたが、そんな時代に自分が生きたとしたら自分も同類かと思う。
人間は生きる時代を選べないし、子供は親を選べない。自分が生れたのは戦後12年経った昭和32年、『もはや戦後ではない』と言われた時期も過ぎ、高度経済成長に向かう時代であり、裕福ではなかったが愛情をもって育ててもらった亡父、亡母にはいくら感謝してもしきれない。
自分は駅の子を実際に知らないが、子供の頃、街頭で二人組の白装束の傷痍軍人が物乞いするのをよく見掛けた。一人は大体腕か脚がなく、地面にゴザを敷いて座り込みカンパの受け皿を前に頭を下げ、もう一人は立ってアコーディオンの演奏を続けた。子供心に怖くて、見てはいけないものを見てしまった感じを受けたが、親からはニセ者だよと言われた。そんな場面を今の若者は想像できないに違いない。