ずっと気になる青が島

子供の頃、地図を眺めるのが好きだった。東京から大平洋を南の方に目を向けると、伊豆諸島の最南端に八丈島があり、その左下にポツンと青ヶ島なる小さな島をみつけ、どんなところだろうと想像した。

そんな想いもあり、53歳になる直前の2010年6月にまずは八丈島への人生初のひとり旅をした。レンタカーで島をぐるぐる回りながら、様々な露天風呂に入り、親方の講釈を受けながら島寿司を食べ、町立歴史民俗資料館で流人の歴史を見聞きし、東京電力地熱発電所で地熱発電の仕組みを勉強したり、まさに大人の社会科見学のようだった。帰りの飛行機の窓から見た点々とつながる伊豆諸島の島々は地図を見ているようで、それでいて青く美しかった。

八丈島は関が原の戦いに敗れて流された宇喜田秀家がよく知られており、お墓を尋ねてみようかとも思ったが時間がなかったので断念。その替りでもないが、ちょうど宿泊したホテルのロビーに『海嘯 逸と富蔵の八丈島』(乾浩著)が置いてあったので、帰ってから読んだ。日本史の教科書にも出ている千島、樺太探検で有名な近藤重蔵の息子富蔵が八丈島に流されてきてからの物語であった。

そのあと、自分は6年間、ランニングの世界にのめり込み、時間にも追われそのあたりの興味が少し遠退いていたが、先日会社で『八丈島あしたばサブレ』を夏休みのお土産に配っていた女性がいて、ふたたび興味が湧いてきた。

そこで今度は青ヶ島のモーゼこと佐々木次郎太夫を主人公とする『島焼け』(高田浩著)を読んだ。青ヶ島天明の頃に発生した大地震により、八丈島に逃れたわずかな島民を除き多くが逃げ遅れ、16年間もの間、無人島となった。青ヶ島は二重カルデラの地形が最大の特徴で、周囲が断崖絶壁、そのため船をつけるのも困難で、八丈島までの70キロの航海も粗末な船をもってしては何度も海の藻くずに消えていった。そんなときに名主となった佐々木次郎太夫を中心に、様々な困難を乗り越えて、青ヶ島への環住を果たしたのであった。

さて、現代においても青ヶ島は人を寄せ付けない島らしい。八丈島からの2時間30分ほどの航路により、島に近づいても天候や波の高さにより就航できる確率は50~60%ほどとのこと、また八丈島からのヘリは座席数がたった9席で予約が大変そうである。

東京都にありながらそんな不便で、今は人口160人ほどの小さな島が青ヶ島である。
なぜか気になる青ヶ島、機会を見つけて尋ねてみたい。