春の手紙

『春の手紙』、大貫妙子さんの曲。過ぎ去った過去への惜別と未來への希望が感じられて、自分の好きな曲のひとつである。

春は何となく物悲しい気分になる。自分の過去の思い出の多くも、目を閉じて振り返れば、そのシーンは春の季節だったような気がする。
春の心はのどけからましなのかな。

WAKATTE TV

最近、youtubuのWAKATTE TVをよく見る。偶然、見つけて、いつの間にか見るようになった。人は見た目や学歴では測れないが、『歴史上で好きな人物は?』等聞いてから、その人の学歴を当てるような構成は何となく面白い。やはり見た目や簡単な受け答えで、その人のだいたいは察しがつくものだと改めて思った。それは若者だけじゃなく、年寄りも同じだな。
見た目に気を使い、内面も磨いて、格好いい年寄りにならないと。

東京農大二高の石田洸介くん

高校長距離の5000m記録を塗り替えた石田くんの進学先が東洋大学と判明した。
だいぶ前から、陸上ファンをやきもきさせ、自分も母校のワセダに入って欲しいと願ったが叶わなかった。東洋大学に決めた理由が、酒井監督とパリ五輪を目指したいとのことだった。酒井監督といえば、最近の選手ではマラソンの服部勇馬や、10000mの相澤と、それなりに結果を出している。それが決め手だったか。我がワセダは大迫がいるか、相楽監督が育てたわけではなく、他にオリンピックを視界に入れた選手もいなかった。やはり、自分が成長できるイメージが描けなかったか。

まあ、そんな事を言ってても始まらないし、歴代2位の佐久長聖高校の伊藤大志選手に期待しよう。

根拠を明確に

西村大臣が東京のコロナ患者数が500人を下回ったら緊急事態宣言を解除すると言ったところ、8割おじさんの西浦教授が、100人を切らないとすぐに再拡大すると反論している。

西村大臣がどのような根拠で言っているのか定かではないが、西浦教授はそれなりの根拠を示しており、勇気を持った発言だと思う。
根拠を持っていないと発言の発信力も違ってくる。

何事も根拠と合わせて、自信を持って発言することの重要性を再認識できた。
自分の仕事でも、そんなことを意識してやっていきたいと思った。

テレワーク試行

だいぶご無沙汰してしまった。

その間、コロナがますます猛威を奮っており、腰の重い会社も緊急事態宣言を受けて、テレワークせざるを得なくなった。

自分は片道1時間半以上かけて通勤してるので、それがなくなれば、体力的な負担が大幅に減る。それだけでも大歓迎だ。

今後、テレワークの環境がより改善され、当たり前のようになれば、ダラダラ残業がなくなり、個人別の成果が見える化でき、実力が正当に評価できて、サラリーマンの改革につながるかも。
コロナを前向きにとらえ、自らのスキルを磨くことだ。

コロナ後の生活様式

コロナが流行してから、生活様式が変わった。

まず、帰宅してすぐに風呂に入る。かみさんは、汚れを落とさないと家に入るべからず的に考えていて、それに沿って、励行している。

また、コロナ前は孫に会いに、近くに住む長女の家にも頻繁に出入りしてたが、今は基本的に孫とは外で会っていて、その頻度もかなり減った。

そして、外では以前に増して飲まなくなった。
たまに長男が帰ってきたとき、ちょっと飲む程度。

今後は静かに生活し、読者や映画鑑賞などで内面を磨き、インテリジェンスを高め、自己研鑽を積むみたいな志向かな。

決して悪い流れではないな。
お金も使わないし、前向きに、前向きに🎵係員

今日は終戦記念日

考えてみれば、終戦を記念するとは誰がつけたのだろう。ちょっと、不謹慎な感じさえする。

たった、75年前の出来事なんだよね。自分は昭和32年生まれだから、その時点ではほんとにたったの12年しか経ってなかったんだ。

終戦記念日あたりに、よく父から戦争の話を聞いた。普段はあまり喋らないのに、戦争の話となると饒舌だったな。だいたい、同じ話の繰り返しだったけど。でも、息子にも話せなかった凄惨な経験まではあまり聞けなかった。苦しい思いをしたと思う。

昔は明治は遠くなりにけりって言ったけど、戦争は遠くなりにけりになってきた。