さくらを見る会の答弁
昨日で国会が閉会したが、さくらを見る会の名簿廃棄など首相、官房長官はさすがに苦しい言い訳に終始した。そのあたりは自業自得なので、呆れるものの何も思わない。
もりとも、かけい以来、ずっと同じ光景だ。
ただ、野党の追及に小学生でも理解に苦しむ答弁を余儀なくされた官僚の本音はどうなんだろう。
自分の子供に見られたら、恥ずかしいと思うだろう。そこまでして真っ赤なウソに付き合わなければいけないのだろうか?
自分の子供、孫に恥ずかしくない生き方を曲げては、出世はできても自慢のお父さんにはなれまい。
そんな境遇に追いやった誰かさんの罪は本当に重いと思う。
最近、仕事で思い出すこと
社会に出て、39年目。
20年以上前、自分が働き盛りの時、60歳間際の先輩が同じ組織内に相談役のような少し浮いた立場で何人かいらっしゃった。
たまに、意見を聞いたり、昔話にお付きあいしたりした。当時はまだ余裕のある時代だったんだな。
さて、今の自分はその時の先輩方の年齢をいくつか超えた。今、前の席にはわが子より年下の若手が座ってる🎵
自分はそのような若手に少しでも貢献しようとも思うし、それなりにきちんと頑張ってると思われたくて、毎日、頑張ってる感じだ。
マラソンに例えれば、39キロ地点を経過したくらいかな。
40キロ地点を越えたら、ラストスパートだ。
ゴールは近い。最後はバンザイ、ガッツポーズでフィニッシュしたい。
働き方改革関連法の施行
来年4月から大企業に働き方改革関連法が施行され、同一労働同一賃金が求められるが、各企業ともあまり検討が進んでいないようだ。
今までも役職の高いライン職は責任を背負わされ大変だったと思う。
一方、年功序列で持ち上がっただけのスタッフ管理職は受難の時代を迎えるだろう。
社内でもよくみると、いなくとも組織的に困らないような存在の管理職が実に多い。
それに比べると頑張っている若手は多い。
年長者は、抽象的だが組織によい影響を与えるかどうかが存在価値の分かれ目のような気がする。知識・経験、マネジメント力、コミュニケーション力、専門性のうち、最低2つは持っていないと不要な存在と見なされ、同一労働同一賃金下では、待遇が引き下がられるだろう。
これからはライン職以外は、フラット化して年齢に関係なく対等で、組織のなかで化学反応が起きながら、それぞれが役割を発揮していくようになるのではないか。それぞれが自分は組織に対して、何の貢献ができるか自問自答していくことになるのではないか。
働くこと
少し前まで、みんな60歳定年でゴールと思っていたが、今や65歳までは働くのが普通になってきた。
それがさらに企業に対して、70歳までの雇用義務化の検討が進められているようである。
ゴールがどんどんと遠くなり、先が見えなくなってきた。
自分の会社は現状は、65歳の年度末までは再雇用で残れるが、そこから先がよく分からない。時給制で働いている人がいるようだが、希望すれば必ず働けるものでもないようだ。
現状は65歳以上の高齢者は気力、体力で個人差があり、一律的な制度化が難しいのだろう。
一方、昨日、通勤時の大手町駅の雑踏の中、子供のギャン泣きの大きな声が聞こえ、振り返ると2歳くらいの女の子がベビーカーを引いたお母さんに片手で抱っこされて、カラダをのけ反りながら、ワーワー泣いていた。勤務先あたりの保育園にでも預けて仕事しているのかなと勝手に想像した。
子供も大変だが、働くお母さんはもっと大変。働くお母さんには勤務先はもっと時短勤務を認めるとか、何とかならないものかな。これだけ、少子化が叫ばれてる中、社会で支えなければなるまい。
そう考えると、高齢者は収入が少なくても、子供、そのお母さんを支えるような役割を果たすべきかな。
やっぱ、頑張って、爺ちゃん保育士になるか。過酷な保育士さんの少しでも助けになれれば、間接的だが社会に貢献している実感が沸くかもしれない。
ラグビー早明戦完敗でした。
残念だけど完敗でした。
あんなにもワイドに展開するメイジを初めて見ました。
早稲田はOB、ファンじゃない限り、今年はメイジに勝てないと思っているでしょう。
そこは何が起きるかわかりませんよ。
新国立でのメイジとの再戦に向けて、大学選手権で巻き返そう😃